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仙台高等裁判所 昭和39年(行コ)6号 判決

控訴人・原告 須藤力

訴訟代理人 菊地養之輔 外一名

被控訴人・被告 青森県知事

訴訟代理人 逸見惣作 外四名

被控訴人・補助参加人・被告補助参加人 須藤栄蔵

訴訟代理人 黒滝正道 外二名

主文

原判決を取り消す。

被控訴人が青森県弘前市大字大森字草薙三番二号原野一町八反四畝一六歩につき昭和二四年七月二日付でした買収処分並びに同日付でした売渡処分は無効であることを確認する。

訴訟費用は、第一、二審を通じ、参加によつて生じた費用は補助参加人の負担とし、その余の費用は被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張並びに証拠関係は、左記のほか原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

第一、控訴人の主張

一、被控訴人の売渡処分においては、甲第三号証の四売渡通知書によつて亡須藤良太郎に対し草薙三番二号が売り渡され、甲第三号証の五売渡通知書によつて補助参加人須藤栄蔵に対し草薙三番一号が売り渡された。この点は被控訴人も認めるところである。しかるに、売渡処分より八年六ケ月を経て被売渡人への登記手続をするに当り、良太郎に対しては三番六号、栄蔵に対しては三番二号につき各所有権保存登記がなされた。しかし、栄蔵に対する三番二号の売渡処分は存しない。

二、丙第二号証売渡通知書は、発行年月日は昭和二四年七月二〇日で甲第三号証の五と同じであるが、次の点において右甲号証と異なるものがある。

丙第二号証における売渡土地の表示は「青森県弘前市、、、」と記載されているが、旧裾野村が弘前市に合併されたのは昭和三〇年三月一日であるから、土地の表示は「青森県中津軽郡裾野村、、、」でなければならない。栄蔵に売り渡されたのは草薙三番一号の土地一町二反九畝二四歩であるのに、丙第二号証においては草薙三番二号の土地一町八反四畝一六歩と変つている。しかるに、賃貸価格一〇円三八銭、対価二二四円二一銭の記載は丙第二号証と甲第三号証の五と同じである。丙第二号証には発行番号が記載されていない。右甲号証では、自作農創設特別措置法第四一条の規定による売渡となつているのに、丙第二号証では同法第一六条の規定による売渡となつている。

以上の点からみれば、丙第二号証の売渡通知書は、これに添付された売渡計画書と共に、旧裾野村が弘前市に合併された昭和三〇年三月一日以降保存登記嘱託書作成の昭和三三年一二月一五日までの間に、県知事が全く関与しないで、何者かによつて偽造又は変造された文書であるといわねばならない。

三、被控訴人主張の売渡計画更正の事実を否認する。

第二、被控訴人の主張

一、被控訴人は、甲第三号証の四売渡通知書により良太郎に対し草薙三番二号を売り渡し、甲第三号証の五売渡通知書により栄蔵に対し草薙三番一号を売り渡した。

二、のち、売渡処分による登記を嘱託するため現地を実測した際、売渡計画書、売渡通知書における地番、地積が実地に符合しないことに気付いて、弘前市農業委員会は実地に符合するように売渡計画書を更正し、良太郎に対しては草薙三番六号原野九反一畝一三歩を、栄蔵に対しては草薙三番二号原野一町八反四畝一六歩を売り渡すこととした。これに基づき栄蔵に対し三番二号の保存登記をした。

しかし、草薙三番の土地の売渡処分は、従来右土地を分割区画して自己所有地として使用収益していた地域を各人に売り渡したものであつて、売渡通知書における地番、地積の更正がなされても、実地については変動はなかつたものである。

第三、補助参加人の主張

一、予備的主張の一を次のとおり訂正する。

良太郎が大正八年兄繁文から本件土地を贈与されたことが認められないとしても、父治三郎からかねがね繁文の買い入れた草薙三番の土地を贈与すると話されていた(治三郎が繁文の代理権を有しなかつたとしても、良太郎としては父治三郎は子繁文の代理権を有すると思うのは当然である。)ので、良太郎はおそくとも分家届出の大正九年二月一日から所有の意思をもつて平穏公然に占有を継続してきたから、二〇年を経過した昭和一五年二月一日をもつて取得時効が完成しその所有権を取得したから、本訴においてこれを援用する。

二、予備的主張の二を次のとおり訂正する。

仮に右主張が認められないとしても、補助参加人は昭和二四年七月二一日本件土地の売渡通知書の交付を受けたので、その時から所有の意思をもつて平穏公然に占有し、その占有開始時において善意無過失であつたから、昭和三四年七月二一日をもつて取得時効が完成しその所有権を取得したので、本訴においてこれを援用する。

良太郎が贈与を受けた土地は丙第六号証に「三の二」及び「三の六」と表示されている二ケ所である。栄蔵が良太郎から買収前に贈与する旨いわれた箇所は丙第六号証の「三の二」である。そして、草薙三番の当り分の所有者たちが各自の当り分について所有権の登記ができるようにするために、裾野村農地委員会に草薙三番の買収、売渡の申出をしたいきさつから明らかなように、売り渡された箇所はもと当り分として各自使用収益してきた所である。したがつて、栄蔵に売渡通知された土地は、売渡通知書の「三の一」という記載にかかわらず、丙第六号証の「三の二」と記載された箇所である。栄蔵は売渡通知により右三の二の土地につき売渡処分により完全な所有者になつたと信じたのであり、かく信じたことについて過失はない。

第四、証拠関係〈省略〉

理由

一、争いない事実

被控訴人は昭和二四年七月二日自作農創設特別措置法に基づき弘前市(当時は中津軽郡裾野村)大字大森字草薙三番の土地四町一反一畝二歩を八代忠兵衛ほか一〇名から買収し、同日右土地の内一町八反四畝一六歩を須藤良太郎又は同人の子補助参加人須藤栄蔵(いずれであるか争いがある。)に対し売り渡し、昭和三二年一二月二四日右一町八反四畝一六歩を草薙三番二号と分筆手続をした上、昭和三三年一月一六日栄蔵名義に所有権保存登記手続をした。

分筆前の三番の土地は中津軽郡裾野村大字大森の部落民一九名が明治三五年一〇月二八日国から払下を受け、その当時現地において事実上一九戸分に分割区画し、各人がそれぞれ「当り分」と称してその所有権を有していた。その後「当り分」の売買等による権利の得喪があつて明治四一年頃には八代忠兵衛ほか一〇名の所有するところとなつた。明治四一年四月二〇日控訴人の父繁文は岡元常吉から一戸分、須藤代次郎から二戸分、須藤衛士から四戸分合計七戸分を買い受け、大正七年四月一三日控訴人の祖父治三郎は須藤卯三郎から一戸分を買い受けた。治三郎は大正一〇年六月二六日死亡し、繁文が家督相続し、繁文は昭和二〇年三月二二日死亡し、控訴人が家督相続した。

良太郎は治三郎の五男(繁文は長男)であるが、良太郎は大正九年二月一日分家届出をし、その際分家財産として田、畑、宅地及び山林合計一二筆の贈与を受け(三番の当り分八戸分が右贈与財産と共に贈与されたか否か争いがある。)、田及び畑については大正一四年七月八日、宅地及び山林については昭和一八年一二月二八日それぞれ所有権移転登記手続を了した。

以上の事実は当事者間に争いがない。

二、前記当り分八戸分の現地がどこであるかについて判断するに、成立に争いない甲第三号証の一ないし五、乙第四号証、第五、第六号証の各一ないし八、丙第六号証、原審証人須藤才太郎、山崎範代、須藤慶三郎、三上寅四郎の各証言によれば、草薙三番の土地は、本件買収処分当時、須藤慶三郎、三上寅四郎を含む七名の者によつて事実上分割所有されていたが(須藤良太郎が所有者の一人であつたか否かは後に判断する。)、右所有者らは、当時未登記であつた三番の土地を各自に分筆して単独所有化する方法として自創法による買収、売渡の手続を利用することを企て、旧裾野村農地委員会に対し右三番土地の買収と各所有者への売渡を申請したこと、これにより右委員会は右土地の買収計画並びに申請どおり各所有者へ売り渡す旨の売渡計画を樹立したこと、青森県知事は右計画に基づき三番土地の買収処分及び売渡処分をしたこと、須藤良太郎は本件八戸分の所有者である旨申し出で、右八戸分は二ケ所は分れているが、そのうちの一を良太郎に、他を栄蔵に売り渡してもらいたい旨申請したので、売渡計画書及び売渡通知書においては、三番二号台帳山林、現況採草地八反六畝一六歩を良太郎に、三番一号台帳山林、現況採草地一町二反九畝二四歩を栄蔵に売渡す旨記載されたこと、しかし、登記においては、三番二号原野一町八反四畝一六歩が栄蔵に、三番六号原野九反四歩が良太郎に所有権保存登記がなされたこと、以上の事実が認められる。

右認定によれば、本件八戸分の現地は丙第六号証実測図に表示される「三の二」及び「三の六」の二ケ所であると認められる。

三、本件八戸分は、もと治三郎及び繁文の所有であつたから、被控訴人及び補助参加人の主張する良太郎の分家の際の贈与の事実がなければ、相続関係上当然控訴人の所有となるものである。そこで、良太郎への贈与の有無について判断する。成立に争いない甲第一号証の一ないし三、原審証人山口貞作の証言(第一回)及びこれにより成立を認めうる丙第四号証、第五号証の一ないし一六によると、次のように認定することができる。

旧裾野村の大森、貝沢部落には古くから部落総代がおかれていた。右部落には部落民多数の所有にかかる未登記の土地がいくつもあり、これらが事実上分割区分され、単独所有として取り扱われ、売買等の対象とされていたので、総代の手許に部落民の土地所有状況を記載した「山林名寄帳」と題する帳簿があつた。また、土地の売買の場合には、新たに登記手続をすると費用がかかるので登記手続をせず、売買当事者が売買契約書を作成した上、これを総代に届け出で、総代がこれを認証するという方法をとつていた。総代の手許には、右のように提出された売買契約書を綴つた「売買公証綴」と題する帳簿があつた。山林名寄帳には、売買公証綴に従つて、土地の買受及び売渡が記載されたが、家督相続の場合は、証言なしに山林名寄帳の所有者欄の名前を訂正する(氏名のうち名を抹消してその横に家督相続人の名を記載する)という方法をとつたことも多数あつた。しかし、名前訂正の場合がすべて家督相続であるというわけではなく、また、公証綴の書類と山林名寄帳の記載とが一致しない場合もあり、山林名寄帳の記載は必ずしも正確であるとはいえないものであつた。前記のように、本件八戸分のうち七戸分は繁文の買受であるのに、山林名寄帳では治三郎の買受と記載されている(丙第四号証、丙第四三、第四四号証)。また、山林名寄帳において、「須藤治三郎」のうち「治三郎」が抹消され、その横に「良太郎」と記載されているが(丙第四号証)、良太郎は治三郎の家督相続人ではない。「治三郎」がどんな理由で「良太郎」と訂正されたのか、いつ誰が訂正したのか、一切不明である。良太郎への贈与を証する書面は存在しない。名前が訂正されているということから贈与があつただろう、と即断することはできない。結局、丙第四号証の名前の訂正をもつて良太郎への贈与があつたことの証拠とすることはできない。

次に、成立に争いない甲第一二号証の一ないし五、丙第八号証の一ないし一四、原審証人山口貞作の証言(第二回)により成立を認めうる丙第七号証の一ないし一三、原審証人山口貞作(第一、二回)、八代清策、葛西竹次郎、当審証人三上長三郎、須藤元一の各証言、原審、当審の控訴人本人尋問の結果(当審第二回)によると、次のように認定することができる。

部落有の入会地及び山林の税金に関する納税告知書は総代に送付され、総代は部落民に割当て徴収したので、総代の手許には、右税金の割当徴収に関し「請払帳」とか「入会秣山及山林地租金賦課帳」と題する帳簿があり、これによると、納税者は大正八年度は須藤治三郎名義であるが、大正一三年度以降昭和一八年度までは須藤良太郎名義である。しかし、だからといつて右帳簿の納税名義人である良太郎が草薙三番の真実の所有者であると即断することは相当でない。何となれば草薙三番は八代忠兵衛ほか一〇名の所有であつたところから、右土地の納税に関する書類は八代忠兵衛方に一括して送付され、同人方で関係者(土地の所有者又はその代納人)から集金して納税しているのであり、入会地に関する賦課金の徴収とは別個に取扱わるべき関係にあつたと見られるし、更に、繁文は他村すなわち旧高杉村前坂に居住していたので、大森、貝沢部落内の土地の税金に関し同部落内に居住していた良太郎を代納人にしていたから、右請払帳などの良太郎名義は納税者ではなくその代納人を示すのではないかとの疑いも強いからである。右いずれの点よりみても、請払帳など(丙七号証の一ないし一三、第八号証の一ないし一四)の記載は良太郎への贈与の証拠とすることはできない。

ほかに、良太郎への贈与について適確な証拠はないから、被控訴人らのこの点の主張は失当である。

四、次に、良太郎が本件係争地を時効取得した旨の補助参加人の主張について判断する。補助参加人は「良太郎は治三郎からかねがね本件土地を贈与する旨話されていた」と主張するが、この主張に副う原審証人須藤清一郎の証言はたやすく信用できず、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。また、前記認定のとおり、分家の際の良太郎への贈与は認められない。しからば、右贈与が認められない以上、良太郎が分家の時から所有の意思をもつて占有を始めたということはできない。「所有の意思をもつて」は法律上推定されるけれども、「占有」の事実は推定されず、立証を要するところ、原審証人須藤良策、須藤慶三郎、当審証人須藤きぬ、三上長三郎はいずれも補助参加人に有利な証言をするけれども、これらの証言は右占有の点について証拠とするに足りず、他にこの点の証拠は存しない。よつて、この点の補助参加人の主張は失当である。

五、以上のように、本件土地の良太郎への贈与及び良太郎の時効取得はいずれも認められないから、本件買収の当時において本件土地及び三番六号の土地は控訴人の所有に属したものといわなければならない。

そこで、本件買収処分の効力について判断するに、成立に争いない甲第二号証の一、二、原審証人山口貞作(第一回)、八代清策、山崎範代、原審当審証人須藤才太郎の各証言並びに原審当審の検証の結果によると、前記第二項に認定したように、各所有者(ただし、須藤良太郎は所有者でないのに所有者であると称した。)からの申請に基づき、旧裾野村農地委員会は草薙三番の土地の買収計画及び売渡計画を樹立し、これに基づき県知事は右土地の買収処分及び売渡処分をしたこと、右農地委員会は、良太郎らの申請をうのみにして、所有者や土地の現況について全然調査せず、良太郎ら申請者を所有者と認め、土地は台帳上山林で現況は採草地であると認めて、右買収及び売渡各計画を樹立したこと、しかし、右土地の現況は一部農地もあるが、大部分は山林であり、後に分筆して三番二号となつた本件土地は買収当時において主として樹齢約四〇年の杉立木が全体にわたつて生立する山林であつたこと、以上の事実が認められる。そして、良太郎は右農地委員会に対し後に分筆により三番二号、三番六号となった土地の所有者であると申し出たが、前記認定のとおり、右各土地は、良太郎の所有でなく、控訴人の所有に属したものである。以上のように、本件土地の買収処分は対象地が山林であるのに採草地としたこと及び所有者を間違えたことの瑕疵を有するものであり、右は重大かつ明白というべきであるから、右買収処分は無効であるといわねばならない。

買収処分が無効であるから、その有効を前提とする売渡処分もまた無効であるといわねばならない。

六、次に補助参加人の時効取得の主張について判断する。

まず、栄蔵に売り渡された土地はどこであるかについて判断するに、売渡計画書及び売渡通知書においては、三番二号の土地八反六畝一六歩を良太郎に、三番一号の土地一町二反九畝二四歩を栄蔵にそれぞれ売り渡す旨記載されていること及び登記面においては三番二号原野一町八反四畝一六歩が栄蔵に、三番六号原野九反四歩が良太郎にそれぞれ所有権保存登記がなされたことは、前記認定のとおりである。ところで、控訴人は栄蔵に売り渡されたのは三番一号であって三番二号ではないと主張する。しかし、良太郎に対してにせよ栄蔵に対してにせよ売渡処分のなされうる(その効力を別として)土地は買収前の当り分八戸分の土地であつて、その現地は分筆後の三番二号と三番六号の二ケ所であることは前記認定のとおりである。売渡計画書及び売渡通知書における土地の表示をみるに、三番二号は八反六畝一六歩であり、三番一号は一町二反九畝二四歩であつて、後者の面積が前者の面積より大である。問題の個所は二ケ所であり、丙第六号証実測図によれば三番二号の方が三番六号より大きな面積を有する。したがつて、売渡処分においては、大きい方を栄蔵に、小さい方を良太郎にそれぞれ売り渡したものであり、売渡計画書及び売渡通知書における三番一号、三番二号という地番は仮のものにすぎないというべきである。このことは、良太郎及び栄蔵以外の六名に売り渡された三番の各土地の地番の表示が、売渡計画書と登記簿とで三番五号を除いて異なつていること(乙第五、第六号証の各一ないし八による。)からも、いえることである。故に、栄蔵に売り渡された土地は、売渡計画書及び売渡通知書に三番一号と記載されたにかかわらず、丙第六号証実測図に表示される三番二号であるというべきである。そうすると、栄蔵は売渡通知書(甲第三号証の五)を受領したことにより(右売渡通知書は昭和二四年七月二〇日の発行であるからその頃受領したものと認められる。)、分筆により三番二号となつた本件土地を所有の意思をもつて占有を始めたものと考えられる。

補助参加人は、右占有のはじめ善意かつ無過失であつたと主張する。買収計画書及び売渡計画書(甲第二号証の一、二、第三号証の一ないし三)において、本件土地は台帳山林、現況採草地と表示されているが、原審当審証人須藤才太郎の証言によれば、良太郎らの口頭の申請に基づき、農地委員会書記が申請どおりに関係書類を作成したことが認められるから、本件土地が現況採草地と表示されたのは良太郎がそのように申し出たからであると考えられる。良太郎は当然本件土地の現況を知つていたはずであるから、同人は虚偽の申出をしたことになる。山林では自創法による買収、売渡はできないから、良太郎はそのことを知つており、自創法の手続を利用して買収、売渡をしてもらうため、現況採草地といつわったものと考えざるをえない。原審証人須藤栄蔵の証言によると、栄蔵は復員後昭和二一年頃から良太郎が昭和三六年三月三〇日死亡するまで同居していたことが認められるから、昭和二四年七月当時両名は同居していたものであり、栄蔵は当時良太郎から右の事情(農地委員会に対し虚偽の申出をして自創法による手続を悪用すること)を聞いていたものと推測される。同居の親子であり、良太郎の申請により一筆の土地が栄蔵に売渡になつている点から考えて、栄蔵が右の事情を全然知らなかつたと考えることは困難である。更に、栄蔵に対する売渡通知書には、「台帳山林、現況採草地」と記載されており、栄蔵は昭和二四年七月二〇日頃これを受領したのであるから、右記載を読んでそれが事実に反すること(栄蔵は本件土地の現況山林を知つていると認められる。)に気付いたはずであり、そこに疑問をもつたはずである。その疑問は農地委員会へ行つて尋ねればたやすく解明されるものである。すなわち、簡単な調査により、本件土地は山林であるから自創法により買収、売渡のできないものであることが判明したはずである。原審当審証人須藤栄蔵の証言(当審第一ないし第三回)によれば、栄蔵は何の調査もしていないと認められる。本件土地は現況山林であるのに、売渡通知書には現況採草地と記載されていたのであるから、被売渡人栄蔵はそこに疑問を持つのが当然であり、疑問を持つたら調査をすべきである(調査は簡単にすむことである。)。簡単な調査によつて本件土地の買収、売渡の無効が判明したであろう。しかるに、何らの調査もしなかつたのは過失であるというべきである。また、売渡通知書の「現況採草地」の記載を読まなかつたとか、読んでも疑問を持たなかつたとするなら、そのこと自体過失というべきである。以上の点から、栄蔵は本件土地の占有のはじめ善意無過失であつたと認めることはできない。

最高裁判所の判例は、「自創法により土地の売渡を受けた者は、特段の事情がないかぎり、その売渡処分に瑕疵のないことまで確かめなくとも、所有者と信ずるにつき過失があるとはいえない。」と判示するけれども、右の法理は農地など自創法によつて処分のできる物件について適用されるものであり、自創法によつて処分のできない山林については適用されないものと解する。

したがつて、補助参加人の時効取得の主張は失当である。

七、以上の故に、本件買収処分及び売渡処分は無効であるから、控訴人の本訴請求を認容すべきである。よつて、原判決を取り消して本訴請求を認容することとし、民事訴訟法九六条、八九条、九四条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本晃平 裁判官 石川良雄 裁判官 小林隆夫)

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